 
| 都城跡(みやこのじょうあと) | 所在地 都島町 | 都城は、都城島津氏二代北郷義久(十七代から島津氏を名乗る)が南北朝時代の永和元年(1375)に築城し、都城と名付けられたといわれ、後に当地の地名となった。
城は、南九州独特のシラス台地が大淀川に迫る要害の地に築かれている。はじめ小規模の曲輪であったが、戦国時代には城域は拡大され、総面積は25ヘクタールとなり、11の曲輪からなる連郭式山城となった。
最盛期には六万八千石の領内に十二支城を置いて、日向大隅の国境を威圧していたが、元和元年(1615)、十二代忠能のとき、幕府の一国一城令により廃城となった。
現在は、城域の中央部をJR日豊本線が貫通しているが、本丸を含む六つの曲輪が残っている。本丸跡には都城歴史資料館が建てられ、都城盆地を一望できる。 | |
 都城縄張り図(八巻孝夫氏作成) |
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