都城領主館跡(みやこのじょうりょうしゅやかたあと)
| 所在地 姫城町 |
元和元年(1615)、徳川幕府は、諸大名に「一国一城」の令を下した。 薩摩藩では本城である鹿児島の鶴丸城だけを残し、他は全て廃城となった。
都城では時の領主十二代北郷讃岐守忠能(ほんごうさぬきのかみたただよし)は同年8月、城を下り、館を設けて新地の経営に乗り出した。
現在の市街地の基礎はこのときにできた。
館の敷地は天神山(今の旭丘神社)を中心として東西約360メートル、南北270メートル(99,000平米)であった。 建物は天神山北側に建てられていたが、明暦二年(1656年)東方へ約100メートル移り、今の明道小学校校庭が中心部となり、表門は現在の市役所東館入り口付近にあった。
国道10号が館の中央東よりを南北に貫通している。
最後の領主二十六代久寛は明治二年(1869年)版籍奉還により鹿児島に去り、残っていた館(広間)には明治四年都城県庁が置かれたりしたが、昭和二十年戦禍により焼失した。
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