 
| 梅北城跡(うめきたじょうあと) | 所在地 梅北町 | 梅北城は、都城盆地を囲む山地がわずかにとぎれ、南の志布志方面に通ずる開口部に位置し、都城攻防の要衝であった。
平安時代の万寿3年(1026年)、島津の御荘を開いた太宰大監 平季基の築城といわれているが確証はない。
城は梅北川にそう丘陵上にあって、四つの曲輪からなる連郭式山城である。現在は、城の西南部が削り取られ中央部を残すのみであるが、その北側と東側には盛土による高土手が見られ、空堀もほぼ原形を止めている。 南北朝時代には。武家方の畠山直顕が居城したともいわれるが、その後は近隣諸氏の争奪の的となり、島津・新納・北郷・島津豊州の各氏が入れかわり立ち代り領主となった。伊集院氏を経て最後は北郷氏の領するところとなったが、元和元年(1615年)の一国一城令によって都城盆地の諸城とともに廃城となった。 |
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