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最新更新日時: April 11, 2012
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都城の文化財
沖水
大島畠田遺跡
大島畠田遺跡
(おおしまはたけだいせき)
所在地 金田町
国指定史跡
主に9世紀後半から10世紀前半(平安時代前期)を中心とした遺跡。
掘立柱建物跡や池状遺構、門、柵列の他、区画溝や道跡も発見された。なかでも、注目されるのが建物の脇に廂を持つ大型の掘立柱建物跡である。
大型の掘立柱建物は、全体の規模が20.3メートルかける14.3メートル、面積290.29平方メートル(約97坪)。柱穴の規模は、直径・深さとも1メートル前後と非常に大きく、使用された柱も大きい物で直径40センチメートルを越えていたと推定される。
この建物は、主体となる2間かける5間の建物部分(身舎・もや)の周りに廂(ひさし)と孫廂(まごびさし・縁あるいは軒)がつき、このような大規模な建物は県内では西都市の国衙跡や国分寺跡以外では見つかっていない。
また、遺跡からは土師器や須恵器の他に国内外で生産された陶磁器類や墨で文字がかかれた墨書土器などもたくさん見つかっている。
遺跡が位置する場所は大淀川と庄内川の合流地点にあたり、出土する様々な遺物からも、河川を利用した交通、交易によって栄えた拠点的集落と考えられ、大型の建物などの存在から地元有力層の邸宅跡と考えられている。
現在は盛り土をして遺跡を保存しています。
また、遺跡北側と東側の2箇所に説明版を設置しています。
南の上空から見た大島畠田遺跡
遺跡全景(上が北)
大型建物跡(白く囲ってあるのが柱の穴)
柱穴検出状況(真ん中の黒い部 分が実際の柱が建てられていた部分で、周辺の濁った範囲が柱を埋めるための穴)
柱穴を半分掘った状態
真ん中(黄色い物差しの右)の黒い部分が実際の柱の跡
柱穴の中からは土師器などが見つかっています。(半分掘った穴の手前の茶色い物が土師器)
道跡から見つかった土師器(二つの土師器が口を合わせて重ねてある。)
上の土師器を取り除いたところ、白磁(中国で焼かれたお茶碗)のかけらが入っていました。
道跡で見つかった土師器。何枚も重ねてありました
緑釉陶器の一部
墨書土器の一部
青磁の一部
白磁の一部
*写真は宮崎県埋蔵文化財センター発掘調査報告書第178集(宮崎県埋蔵文化財センター 2008)より転載
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