 
| 月山日和城址(がっさんひわじょうし) | 所在地 高城町大井手 | 今から670年ぐらい前、肝付氏によって造られた城で、当時は「三俣院兼重本城」と言われていました。肝付兼重は、この城を拠点として、南朝方五辻宮守良親王から拝領した錦の御旗をひるがえし、北朝方の畠山軍と戦いました。御旗の印、月、日から、月山日和城と呼ばれるようになったと思われます。
暦応2年(1339)8月兼重は、日向地頭畠山直顕(はたけやまただあき)に敗れ、直顕の城となり、三俣院高城とも言われました。
月山日和城は、南北朝の争いから、戦国時代を経て慶長5年(1600)の庄内の乱まで約360年間三俣千町争奪戦の要として戦火に囲まれた歴史を持っています。この間都城島津家中興の英主と言われた北郷忠相(ほんごうただすけ)は天文7年(1538)から永禄2年(1559)の21年間この日和城を居城として四隣を圧しました。
この城はシラス台地を削って曲輪(くるわ)を造り出す南九州の特徴的な城で、池の城、内の城、真城、本城、中の城、桶広、樽原、取添の8つの曲輪からできた約4ヘクタールの山城です。
また昭和10年(1935)11月の陸軍特別大演習の時に野外総監部となり、昭和天皇がここから演習をご覧になりました。なおこれに先立って南朝の忠臣と言われた肝付兼重公の誠忠碑がここに建てられました。 |
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