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最新更新日時: February 24, 2012

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山之口麓文弥節人形浄瑠璃 
 

やまのくちふもとぶんやぶしにんぎょうじょうるり
国指定重要無形民俗文化財
人形浄瑠璃とは浄瑠璃(語り)と三味線と人形とが一体となって演ずる人形芝居のことである。
山之口麓の人形浄瑠璃は文弥節(ぶんやぶし)人形浄瑠璃として知られている。文弥とは岡本文弥のことで、文弥節の創始者である。節とは浄瑠璃の語り節である。 

岡本文弥の人形浄瑠璃は17世紀ごろ(江戸時代前期)、大阪道頓堀あたりで大流行していた。参勤交代の折に島津藩の家来たちが大阪で習い覚え、郷里に持ち帰って広めたと言われている。(当時諸大名は将軍直轄下で任務に当たるために江戸(東京)まで家来たちを引き連れて旅をしなければならなかった)

山之口麓の資料館には、文政9年(1826)に当地で書き写された出世景清の浄瑠璃台本が保存されている。その台本の巻末に、写した人(名前不明)の手記が見られる。
 「山之口麓の関所に人形浄瑠璃の大変上手な語り手で曽木という関守が居り、浄瑠璃を語っては人々を喜ばせていた。ある日のこと同僚の私に、出世景清の台本をぜひ写してほしいと彼が頼んだ。十分自信はなかったが、引き受けて書き写すことにした」
これによって、山之口麓の人形浄瑠璃は江戸時代から今日まで受け継がれてきたことが認められる。

山之口麓の人形浄瑠璃は、語りを含めてその芸態は古浄瑠璃と言われており、いくつかの点で文楽とは違っている。江戸後期以降古浄瑠璃は影を潜めるが、文弥節人形浄瑠璃のみが現在全国で4箇所(新潟県佐渡、石川県石川郡、鹿児島県薩摩川内市、都城市山之口麓)残っている。当資料館には27体の人形があり、江戸時代から明治、大正の作と見られる。

第二次世界大戦のころは人形浄瑠璃の不振が続いた。大戦が終わって6年目に多大の努力の結果、山之口麓の新しい保存会が作られ、伝統文化の復活が得られた。平成4年(1992)には当人形浄瑠璃資料館(上演場付)が建てられ、年4回の公演が決まった。2年後には、山之口麓小学校児童による人形浄瑠璃クラブが誕生し文化伝承の後継者育成が始まった。そしてついに、平成7年(1995)に山之口麓文弥節人形浄瑠璃は国指定重要無形民俗文化財となった。
 
 
 幕開き

日本では従来色々な催しの際、幕開きに三番叟(さんばそう)を演じているが、当山之口麓では、三番叟の代わりに娘手踊り「お伊勢まいり」を用いる。娘手踊りは女の子の踊りで、その歌詞には参勤交代の情景が見られる。
 
 演目

「出世景清(しゅっせかげきよ)」・「門出八嶋(かどでやしま)」
二つとも江戸時代初期に活躍した戯曲作家近松門左衛門の作で、当館の主演目である。

 
 間狂言

「太郎の御前迎(たろうのごぜむけ)」・「東岳の猪狩り(ひがしだけのいのししがり)」・
「大世間話馬泥棒弥右衛門(うぜけんばなしうまどろぼうやえもん)」
これらの間狂言はいずれも山之口地方の方言によりユーモラスに語られている。

 
画像:やじるし 演目解説
出世景清へ  門出八嶋へ  間狂言へ

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本ページ、演目解説及び英語版は解説パンフレット「山之口の文弥人形」を基に作成しました。
「山之口の文弥人形」 あとがき
このパンフレットは、英文版の演目ガイドとほぼ同時に作成したもので、いずれも同じ内容であり、若干詳しいあらすじをまとめ、人形浄瑠璃を見る人の理解の一助になることを願ったものである。人形浄瑠璃に初めてふれるとき、外国人はもとより日本人でさえ、古典の言葉はそのままでは理解しにくい。ある程度内容がわかれば、原文そのものへの興味も湧くものと思われる。山之口麓の人々は、日本戯曲の巨匠、近松門左衛門の軽快な文句を諳んじながら、日々浄瑠璃を愉しんで来られたようである。  平成18年9月10日 川添大陸


お問い合わせ
都城市教育委員会 山之口教育課
〒885-1802 宮崎県都城市山之口町花木2005
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