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最新更新日時: February 16, 2012
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都城の文化財
山之口
的野八幡
的野正八幡宮の石造物
(まとのしょうはちまんぐうのせきぞうぶつ)
的野正八幡宮
所在地 山之口町冨吉
的野正八幡宮は、和銅
3
年(
710
)、元明天皇(げんめいてんのう)の奈良朝時代の創建と伝えられています。
大隅国分正八幡宮(現在の鹿児島神宮)の末社だとされています。
天文年間(
1532
〜
1555
)の兵乱の中において領主北郷忠相(ほんごうただすけ)が戦勝祈願したところ霊験あらたかであったので、それ以降山之口郷花木、高城郷桜木などの土地を神田として寄進しています。
また祭米一斗七升五合宛てを祭料として共進するなど歴代の藩主から尊び崇められてきました。なお、三俣院の総鎮守の社でもありました。
明治
4
年(
1871
)
7
月、郷社に列せられたときに的野八幡宮から圓野神社と改名しました。
明治
6
年(
1873
) 台風のため倒壊したので改築。
大正元年(
1912
) またもや台風で破損。
大正
3
年(
1914
)
2
月
28
日 修復
昭和
4
年(
1929
) 神殿屋根を銅板葺としました。
平成
14
年(
2002
) 改築、再び的野正八幡宮と改名
六面石幢
この石塔は、万治元年(
1658
)
12
月に建立されたもので、廃仏毀釈の時の受難の跡が東面と南面に見られます。
「諸行天常是生滅法生滅々寂滅為楽」
は「涅槃経(ねはんぎょう)」の偈文です。
上部の六地蔵(仏がん)は、六道において衆生の苦患ほ救うという地蔵で六道輪廻をあらわすと仏典に記されています。
かつては的野正八幡別当弥勒寺(みろくじ)には石塔が数多くあったそうです。それらの貴重な残存品ではなかろうかといわれています。
または藩政時代の刑場跡供養塔かも知れないとも伝えられています。
献碑
この石碑は、神社の石段を境内歩道の脇にひっそりと立っています。
刻まれているのは「神代文字(じんだいもじ)」、「神字(かんな)」、「日文(ひふみ)」などといわれている文字です。
それを解説すると次の通りです。
タテマツル 奉
メウチニシヲヰチネム 明治
21
年
シアスキチニチ 師走吉日
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