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最新更新日時: February 16, 2012
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都城の文化財
山之口
南方神社
南方神社の石造物
(みなみかたじんじゃのせきぞうぶつ)
南方神社
所在地 山之口町花木
社伝に和銅
2
年(
709
)の創建といわれます。
往時は上下諏訪大明神と称し、7月
27
日の夜には民衆行列をなして参詣し、的野八幡宮浜下りに次ぐにぎやかさです。
応仁元年(
1467
)、弘治
3
年(
1557
)などの造営旧記があるので、創建は古い事がうかがわれます。棟札によれば、正徳
4
年(
1714
)
4
月、正徳
6
年(
1716
)
2
月に再興され、延享
2
年(
1745
)には舞殿が修復されています。
旧社殿が老朽化したので昭和
55
年(
1980
)に全面改築がされました。
平成
3
年(
1992
)しばらく絶えていた「あげ馬」行列が復活奉納されました。その後
4
年ごとに「あげ馬」奉納は続けられています。
仁王像
南方神社鳥居両脇に立っている仁王像は、神仏同住説に基づいてわが国固有の神と仏教の仏菩薩とを同一視し、両者を同じ所に配祀して信仰する神仏混淆時代の名残です。
仏法守護神として宝暦
4
年(
1754
)に寄進されたものであることが対の仁王像の背面に刻まれています。
明治の廃仏毀釈の害にあうこともなく完全な姿で残されており貴重な文化遺産です。
高さ
2
メートル、横巾
1
メートル、厚味
0.5
メートル
阿形(向って左)
後ろに勝岡石切七郎右衛門とあるがこの人物は寛延から宝暦の時代に活躍した石工、毛利七郎右衛門のこと。
吽形(向って右)
後ろに甲の文字が見えるが寛延(
1748
)から宝暦(
1763
)年代までの間の甲は宝暦
4
年(
1754
)にあたる十二月吉祥日とある。
金剛力士像ともいい仏の守り神といわれる。
阿形
吽形
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