 
| 山之口弥五郎どん祭り(やまのくちやごろうどんまつり) | 県指定無形民俗文化財 | | 所在地 山之口町冨吉 | 「弥五郎殿」(やごろうどん)は養老4年(720)の「隼人の乱」が起きた時の隼人族の首長であったといわれています。
大友旅人(おおとものたびと・朝廷軍)によりこの乱は鎮圧されましたがこの戦いで数多くの死傷者が出ました。 それに、斬首などの残虐行為も行われたといわれています。この隼人族の霊のたたり現象を恐れた朝廷は宇佐八幡宮の神託を受けて全国的規模の「放生会(ほうじょうえ)」を行いました。
その放生会は、以後各地の八幡神社の祭りとして行われました。
放生会の先払(先導役)となったのが隼人族首長弥五郎どんです。 大隅地方、日向諸県地方ではこの放生会を「ホゼ」=豊穣祭といっています。
当寺全国規模で行われたと思われる「放生会次第」による祭りで現存しているのは南九州では、鹿児島県岩川八幡神社、宮崎県日南田之上八幡神社、山之口的野八幡宮の三ヶ所だけといわれています。
「三国名勝図会」によると 「的野神社は往古三俣院の宗廟にして本社なりしといへり、正祭十月二十五日、此の祭日、当社より申酉方四町余、路傍御手洗池の側に仮殿を設け、三つの神輿を守り下る、是を浜殿下り(はまくだり)といふ、中の神輿を第一と定め儀衛旧式あり、且大人弥五郎(かつうしやごろう)と呼んで朱面を被り、刀大小を佩(おび)きたる。 一丈余りの隅人(にんぎょう)を作り、四つ車に乗せ、十二三歳の童子、衆多(あまた)の人数にて、行列の先きに推す。上古大隅の隼人を征討の故事なりといへり、その権興詳(はしめつまびら)かならず。 また其儀衛の中、多く武具を用ゆ、是は北郷忠相、当地を領するの時始るといい伝へ、昔は流鏑馬もありし、又二月初卯の日祭あり、此の日には田鍬始めの謂れとして、牛の形を造り、墾田の状をなし、及び木刀躍りあり・・・」
古来より続いているこの浜殿下りが現在の神幸祭「弥五郎どん祭り」なのです。
以前は旧暦十月二十五日に行われていましたが現在は十一月三日の例大祭の日に行われています。 『ここを立つ立つ、この調で立てば、先も栄える、いよ、のちも茂る』 の馬方節(九番からなる)の調にのり、三つの神輿が神社下の鳥居より600メートル程離れた一の鳥居横の御手洗池の仮殿まで古式豊かな時代絵巻の行列が続きます。
その先払いをするのが「弥五郎どん」です。 四つ車の代車にまたがり、麻布の着物をつけ、腰には大小二本の刀を差し、顔は赤く髭をたくわえ、形相は険しく、大きな耳をつけ、頭には鉄製の鉾を付けています。身の丈4メートル程の威風堂々の大人形が沢山の子供達に引かれて下ります。
神輿を仮殿に安置すると、神事が行われ、浦安の舞や神楽、その他各地区に伝わる郷土芸能が奉納されます。 田の神舞、剣の舞、棒踊、太郎踊、矢旗踊、奴踊、俵踊、相撲踊などです。
これらの伝統芸能が大勢の見物人の前で終日繰り広げられます。
平成2年2月27日には、この伝統芸能が貴重な文化遺産であると評価され、「記録保存を必要とする文化財」であるとの国の『選択』を受けました。 |
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