都城の歴史観光スポット(市中央部)
神柱宮


万寿3年(1026、藤原道長が死去する前年)、太宰府の大監という役職にあった平季基(すえもと)が当地に来て、この地方を開発し島津の荘を開き始めました。
後に季基は、島津の荘を道長の息子の関白 頼通に寄進。そして島津の荘の総鎮守として伊勢神宮を、自分の住まいがあった梅北に勧請(かんじょう)し、神柱社と称しました。
後に神柱大明神などとも称されましたが、現在は神柱宮と称します。場所は梅北の黒尾神社の所。
季基の娘婿の梅北兼高の子孫が代々祭祀をおこなってきましたが、明治6年、桂久武が都城県の総鎮守として小松原の現在地に移しました。境内には池田貞記(いけだ ていき)の顕彰碑があります。
また神柱宮の西隣りには招魂社があり、西南の役以降の今時の大戦に至るまでの招魂碑がありますが、西南の役の招魂塚には、勝海舟の招魂塚の字が刻まれています。


