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広報都城で連載中の「歴史探訪」。ホームページでは、少しくわしく解説します。
今回は令和3年5月号に掲載の、縄文時代の洞窟遺跡「尾平野洞窟遺跡」について紹介します。
都城市安久町にあります。都城盆地の東から南を縁取る鰐塚山地の中、安楽川沿いの険しい崖の中腹にあります。
入口付近の横に長い楕円形をした1区と、そこから奥にのびる2区からなります。1区の大きさは幅7メートル、奥行き6メートル、高さ2メートル、2区は奥行き20メートル、幅7~8メートル、高さ1~2メートルです。
昭和11年の調査では2区から縄文時代後期~晩期の土器・骨角器(骨で作られた道具)・動物の骨などが出土しました。その後の分布調査などの際にも、縄文土器や動物の骨が採集されています。
縄文土器・石器
イノシシの骨
シカの骨
ノウサギの骨
盆地の中の台地などにつくられたムラで暮らしていた縄文時代の人々が、山で狩猟などを行った際にベースキャンプとして使われた場所ではないかと考えられています。
縄文時代の人々の山での暮らしや狩りの様子がわかる遺跡であること。また、たくさんの動物の骨が見つかったことです。
動物の骨は、イノシシ・シカ・カモシカ・ノウサギ・ニホンザルの骨が出土しており、シカの骨は割った跡、サルの骨には焼いた跡が見られました。これらのことからは、縄文時代の人々が捉えた動物をどのように調理・利用していたのかがわかります。また、現在は宮崎県南部には生息していないカモシカの骨の出土は、当時の環境を知る上で貴重な資料といえます。
カモシカの骨
サルの骨
※尾平野洞窟遺跡は、崩落などの危険があり立ち入り禁止です。