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易道具(算木、筮竹)(えきどうぐ さんぎ、ぜいちく)
都城島津邸の収蔵史料の中に、易占(えきせん)という占いの道具があります。内之浦に漂着し、その後、都城の唐人町に居住した、漢学者江夏生官(えなつせいかん)の子孫によって伝えられたものです。
易占は、「易経(えききょう)」という中国古代書物に基づいたもので、計算用具である算木と50本の筮竹を用いて行います。奈良時代に日本に伝わったとされる易経は、江戸時代には専門の学者が現れるなど、長い間、日本の政治や文化と深く関わった学問でした。
日本へ渡り学者として身を立てた唐人にとって、占いは教養の一つでした。島津家十八代家久(いえひさ)に仕えた唐人江夏友賢(こうかゆうけん)は、兵法や儒学などに秀でた人物で、鹿児島城(鶴丸城)の築城の吉凶を占いました。
唐人たちの持つ占いの知識や技術は重大な決定を左右し、領内統治と繁栄のために、積極的に利用されていました。