ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

玉窓院像(ぎょくそういんぞう)

記事ID:2206 更新日:2019年10月29日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

玉窓院像

掛け軸の中に、一人の女性がたたずむ「玉窓院像」。彼女の生前の名は於岩(おいわ)といいます。都城島津家24代当主久本(ひさもと)の姉に当たり、享和(きょうわ)元年(1801年)に生まれました。

「玉窓院」という名は、彼女の死後に贈られた名前です。 一緒に描かれた琴や書物、筆を見つめるしぐさから、彼女が文才と楽才にたけた才女であったことをうかがい知ることができます。

於岩が亡くなった文化13年(1816年)には、疱瘡(ほうそう・天然痘(てんねんとう))が大流行しました。この病にかかると40度近い高熱が続いて、全身に発疹ができ、呼吸不全を起こして死に至ることもあったことから、人々に大変恐れられました。

この年、都城島津家の子どもたちも疱瘡にかかり、於岩1人が16歳という若さで亡くなった記録が残されています。

みなさんの声を聞かせてください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?