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九州沿海図(大図)都城(きゅうしゅうえんかいず だいず みやこのじょう)

記事ID:2222 更新日:2019年10月29日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

九州沿海図(大図)都城

伊能忠敬の全国測量は10回にも及び、その中で初めて都城の測量が行われたのが、文化7年(1810)第7次測量からでした。この測量では、測量隊を伊能忠敬が率いる本隊と支部である坂部組(さかべぐみ)の二つに測量隊を分け、都城の測量は坂部組が調査しました。

坂部組は、福山(鹿児島県霧島市)から都城の五十町村(ごじっちょうむら)に入り、後町(うしろまち)・三重町(みえまち)(都城市西町)、本町(もとまち)(上町)、唐人町(とうじんまち)(中町)、原口村(上長飯町)、鷺巣村(さぎすむら)・寺柱村(てらばしらむら)(三股町)を巡った後、飫肥藩との境となる牛之峠まで測量しました。この測量の結果、作成されたのが、「九州沿海図(大図)都城」です。

こうして作成された地図をもとに「大日本沿海與地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」いわゆる「伊能図」が作られたのです。

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