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庄内地理志(しょうないちりし)巻十四「唐人町本町屋敷図」(とうじんまちもとまちやしきず)
東アジアとの交易が活発になった15世紀以降、南九州の各地には、渡来した唐人たちによって唐人町が形成されました。
都城に唐人町が形成された時期は、戦国時代と考えられています。明(みん)王朝の圧政から逃れ、 内之浦に漂着した人々が、都城島津家10代領主北郷時久(ほんごうときひさ)に召し抱えられ、 安永諏訪馬場(やすながすわばば)(現在の庄内町)に住んだのが始まりです。その後、唐人町は場所を転々と移し、最終的に現在の中町付近に落ち着きました。
庄内地理志巻十四の「唐人町本町屋敷図」には、中町付近につくられた唐人町の様子が描かれています。南北の通りの長さは262メートルあって焼酎屋や豆腐屋など、さまざまな店が並んでいました。
現在の中町に当時の面影はありませんが、本図から江戸時代の唐人達やその子孫の生活の様子をうかがい知ることができます。