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照顔録・附坐獄日録(しょうがんろく・つけたりざごくにちろく)
長州藩士の吉田松陰(よしだしょういん)は、行動的な思想家で、黒船で密航しようとしたり、自分の意見を藩や幕府へ直接訴えたりしました。
松陰が教えていた松下村塾(しょうかそんじゅく)では、知ることと行動を一致させることが大切と説く「知行合一(ちこうごういつ)」の考えを元に、高杉晋作(たかすぎしんさく)や久坂玄瑞(くさかげんずい)など多くの志士が学びました。
この照顔録は、松陰が安政(あんせい)6(1859) 年、幕府の命により江戸に送られる3日前に長州で書いた最後の書物。この中で武士たるものは、品行を重んじるべきだと強く主張しています。
また、附坐獄日誌は、 武士を収容する牢屋の野山獄(のやまごく)で書かれたもので、日本のあるべき姿などを記述しています。
このような武士道精神を示した松陰の思想が、明治維新の大きな原動力となりました。