本文
島津道鑑(しまづ どうかん)(貞久:さだひさ)下文(くだしぶみ)
宮崎県指定文化財本田文書のうち
建武2年(1335)3月11日付けで島津本家当主島津貞久が出した書状です。このなかで、当時薩摩国の守護であった貞久が、薩摩国山門院(やまといん)(鹿児島県出水市付近)代官職の半分について本田久治が受け継ぐことを命じています。
本田家とは、鎌倉時代の初めに島津氏に従い南九州へやってきた一族で、主に鹿児島県の姶良市・霧島市一帯で活動していました。江戸時代、その子孫が都城島津家へ献上したのがこの1通を含む文書群です。後(ご)醍醐(だいご)天皇や足利尊(たか)氏(うじ)、その弟の直(ただ)義(よし)の手紙等、中世の貴重な古文書が含まれており、当時の島津氏や南九州の動向を知るのに重要な史料です。
都城島津邸で所蔵しているこの文書群は、宮崎県文化財に指定されています。