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西嶽鹿倉絵図(にしだけかくらえず)
この絵図は、都城島津家が狩猟の場としていた西嶽鹿倉を描いたものです。
狩猟場の絵図でありながら、集落や主要な道なども記されていて、江戸時代の西岳地区の様子をうかがい知ることができます。
この絵図の端には、高千穂峰を前面に見た霧島山が描かれています。そして高千穂峰の左の中腹辺りからは、噴煙が上がっているように見えます。都城市方面から見える角度であることから、噴煙は御鉢(おはち)から上がっていることが推測されます。
江戸期に起きた御鉢の噴火は、明和6年(1769)から約3年にわたる記録のみが残されています。このことから、この絵図は、明和年間の噴火から間もない時期に描かれたものと考えられ、1770年代の噴煙を上げる霧島山を描いた、とても貴重な史料です。