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大久保一蔵外二名書状(おおくぼいちぞうほかにめいしょじょう)

記事ID:3464 更新日:2019年10月29日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

大久保一蔵外二名書状

大久保一蔵は文政(ぶんせい)13年 (1830年)8月10日、 高麗町(こうらい:現在の鹿児島市高麗町)に生まれ、後に利通(としみち)と改名しました。この一蔵こそ誠忠組(せいちゅうぐみ)を結成し、版籍奉還や廃藩置県を断行するなど、幕末維新期の中心人物として活躍した、大久保利通その人です。

一蔵は下級士族の生まれでしたが、鹿児島藩の島津斉彬(なりあきら)や島津久光(ひさみつ)にその能力を評価され、江戸に上りました。倒幕を果たした後、明治政府では事実上の最高権力者として活躍。西郷隆盛、木戸孝允(たかよし)らと共に「維新の三傑(さんけつ)」と呼ばれました。

この書状は、文久(ぶんきゅう)3年(1863年)9月27日付けのもので、大久保一蔵ほか2人が佐賀関から国元(鹿児島藩)に宛てたものです。幕政改革要求のために京都・江戸に上った島津久光が目的を果たし、無事に佐賀関を出発したことを知らせる内容が記されています。

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