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コラム3 北郷家(ほんごうけ)と島津豊州家(しまづほうしゅうけ)

記事ID:36585 更新日:2021年6月4日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

戦国時代、北郷家と飫肥(おび)(日南市)を本拠とした島津豊州家(ほうしゅうけ)とは親密な関係にありました。特に北郷家8代忠相(ただすけ)は、豊州家忠朝(ただとも)・忠広の協力を受けて伊東氏や新納(にいろ)氏に対抗し、都城盆地を統一しました。また天文(てんぶん)15年(1546)には、北郷家9代忠親(ただちか)が、病気で子供を亡くした忠広の養子となり豊州家を継ぎます。なお北郷家は忠親の子時久が跡を継ぎました。

忠親の豊州家相続は、北郷家一族の政治的な力を大きくしました。天文21年(1552)、島津本家の貴久(たかひさ)は他6名と、今後相互に協力していくという誓約書を作成します。その6名には忠相・忠親・時久の名前があり、7人のうち3人が北郷家一族でした。当時の島津家にあって、北郷家の影響力がいかに高かったかを教えてくれます。北郷氏は豊州家と協力することで大きく成長したのです。

北郷忠親の墓(都島町 都城島津家墓地)

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