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コラム4 北郷氏の朝鮮出兵

記事ID:36586 更新日:2021年6月4日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

天下統一を果たした豊臣秀吉は、文禄元年(1592)、明を侵略すべく朝鮮半島へ出兵しました。これに島津家も参戦し、北郷家は当主忠虎(ただとら)を将として軍勢を派遣しましたが、豊臣政権から要求された軍勢の半分しか編成できませんでした。その理由は、同時期に行われた太閤検地(たいこうけんち)と配置替えによって家臣達の不満が高まり、領地分の役目を果たさなかったためです。

朝鮮半島へ渡った日本軍は次第に敗色が濃くなり、在陣していた大名達は、兵糧が底をつき、不満を感じはじめます。島津家も同様に、苦しい在陣が続きました。北郷家では、将である忠虎が病死してしまい、嫡子長千代(ながちよ)(忠能)(ただよし)がまだ幼かったことから、忠虎の弟三久(みつひさ)が家督代理となり、難局を乗り切りました。

行軍する島津軍(高麗虎狩図屏風)

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