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13代 北郷翁久(ほんごうおきひさ) 1610~1628
北郷忠能(ただよし)の長男。母は島津征久(ゆきひさ)(後の以久)の娘。
元和(げんな)元年(1615)12月、島津本家の人質として駿府(すんぷ)(静岡県静岡市)へ、翌2年に江戸へ赴き、徳川家康・秀忠に拝謁しました。滞在中、翁久は島津家の重質として手厚い待遇を受けています。元和3年(1617)に都城に帰国、その後、元和6年(1620)に再び人質として江戸に赴き、元和9年(1623)年に帰国しました。
寛永元年(1624)に鹿児島城において藩主家久の加冠を受け元服、同4年に鹿児島藩主家久の三女を妻としましたが、同5 年に鹿児島にて亡くなりました。享年19歳。系図では13代とされますが、忠能の死後、弟忠亮が次いでおり、実際は早世のため家督は相続していないものと考えられます。法号を覚心皎円居士。墓所は龍峯寺跡(りゅうほうじあと)(都城市都島町)。