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15代 北郷久直(ほんごうひさなお) 1617~1641

記事ID:36624 更新日:2021年6月4日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

鹿児島藩主島津家久の3男。母は島津忠清の娘。初め忠直(ただなお)と称していました。

寛永8年(1631)江戸において元服、将軍徳川家光に拝謁したといいます。垂水島津家の養子となっていましたが、寛永11年(1634)、北郷忠亮(ただすけ)の死去により、忠能(ただよし)の娘春嶺(しゅんれい)を妻とし、北郷家を継ぎました。同年10月、久直が都城に入部する時、都城に藩から「惣奉行(そうぶぎょう)」・「上置(うわおき)」が設置されています。「上置」は、鹿児島と都城の取次及び都城領主の後見役、都城領政の監視役でした。

久直は鹿児島藩主である兄光久と協力して領内統治に努め、寛永15年(1638)、兄光久が江戸に赴いた時は、命によって藩の政務を執り行ったといいます。武術に秀で、剣術は示現流を、弓術は日置流を学び奥義を極めています。寛永18年(1641)11月、病により鹿児島にて死去しました。

享年25歳。法号を廓安了聖庵主。墓所は龍峯寺跡(りゅうほうじあと)(都城市都島町)。

北郷久直像

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