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16代 北郷久定(ほんごうひささだ) 1644~1662
鹿児島藩主島津光久の次男。母は松澤家次の娘。初め久統、又作と称しました。
明暦2年(1656)、北郷家を継いだ兄久直が25歳の若さで早世したことにより、島津本家の命令で久直の娘千代松と結婚し同家に入り、家督を相続しました。久定が家督を継ぐまで15年の空白があります。この期間は久直夫人で、12代北郷忠能の娘の春嶺が中心になって領内の統治が行われていました。
寛文元年(1661)に鹿児島に滑川邸(なめかわてい)(鹿児島市清水町・稲荷町付近)を建設、また都城においては東西北の3口に番所を置き、領内整備に努めたといいます。寛文2年(1662)、都城において死去。享年19歳。法号を松月院殿天心法高居士。墓所は龍峯寺跡(りゅうほうじあと)(都城市都島町)。