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17代 島津忠長(しまづただなが) 1645~1670

記事ID:0036628 更新日:2021年6月4日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

鹿児島藩主島津光久の3男。江戸生まれ。

当初は喜入家に入る予定でしたが、北郷家に入った兄久定(ひささだ)の早世を受けて、寛文3年(1663)、久定の妻であった久直の娘千代松と結婚して同家に入り、家督を相続しました。このとき、島津本家の命により、「北郷」を改め「島津」を名乗ることになりました。

父光久と共に江戸に3度赴いており、将軍徳川家綱に拝謁しています。亡くなる年の寛文10年(1670)、江戸で病気となり、さらに脚気を併発し、治療の甲斐なく江戸で死去しました。武を好み槍術や軍法を学び奥義を極めたと伝えられます。

享年26歳。法号を千江院殿雪巌玄霜大居士。墓所は龍峯寺跡(りゅうほうじあと)(都城市都島町)。

本小札萌黄糸威二枚胴具足

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