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19代 島津久龍 1678~1740
島津久理(ひさみち)の長男。母は入来院重頼の娘。
貞享6年(1688)10月、鹿児島で藩主島津光久の加冠により元服しました。元禄6年(1693)12月に妻として種子島久時の娘蓮応院(れんおういん)を迎え、鹿児島で婚礼を行いました。そして、元禄13年(1700)に父久理から家督を相続しました。
家臣のために備蓄米用の蔵を建設したり、8代当主忠相の150年忌を執り行ったりするなど、都城領主として領内安定に努めました。久龍の頃に領内政務諸藩が整ったといわれます。
元文元年(1736)に本家の命により島津領東境の統括を任され、以後都城島津家当主は都城に、鹿児島には留守居役を置くようになったといいます。学問を好み書画に精通した人物と伝えられます。
享年63歳。法号を天徳院殿哲山玄高大居士。墓所は龍峯寺跡(りゅうほうじあと)(都城市都島町)。