本文
20代 島津久茂(しまづひさもち) 1711~1774
島津久龍(ひさたつ)の次男。母は前田時尚の娘。初め久珍と名乗りました。
享保6年(1721)正月に兄久道(ひさみち)が早くに亡くなったことから、元文5年(1740)、父久龍(ひさたつ)の跡を受け、家督を継ぎました。
延享元年(1744)11月、藤崎是八を鹿児島に派遣し経書を学ばせ、後には京都に遊学させる等して、家臣の学問奨励、領内の殖産興業に力を注ぎました。また、池田貞記を京都の宇治に派遣して製茶法を学ばせ、宝暦7年(1752)に製茶1壺を桃園天皇に献上したといいます。
銃術にも秀で、稲留流や提要流を極めたほか、有職故実にも詳しく小笠原流の諸礼や要門流軍学を学んだと伝えられます。多趣味な当主で、隠居屋敷に多くの鳥や動物を飼っていました。
宝暦7年(1752)に隠居して嫡子久般(ひさとし)に家督を譲り、安永3年(1774)、都城で死去しました。享年64歳。法号を法雲院殿円山良覚大居士。墓所は龍峯寺跡(りゅうほうじあと)(都城市都島町)。