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21代 島津久般(しまづひさとし) 1743~1761
島津久茂(ひさもち)の長男。母は二階堂行寧の娘。
宝暦7年(1757)5月、父久茂が隠居したのに伴い家督を相続し、若年ながらも藩主の饗応や幕府巡見使の出迎え等領主としての役目を果たしました。
宝暦11年(1761)12月、鹿児島藩主島津重豪(しげひで)の拝謝使(はいしゃし)として将軍徳川家治(いえはる)に謁見しました。しかし、まもなく天然痘を患い江戸において死去、芝の大円寺に埋葬されました。
享年19歳。法号を高勝院殿泰心了道大居士。墓所は龍峯寺跡(りゅうほうじあと)(都城市都島町)。