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コラム8 江戸時代の都城の町(本町)

記事ID:0036793 更新日:2021年6月10日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

江戸時代の都城には、本町・三重町・後町・唐人町・平江町という町場がありました。戦国時代、都城盆地には13 の城(山城)があり、それぞれに町場がありました。その後1615年、徳川幕府が出した「元和の一国一城令」によって各城は破却(はきゃく)され、現在の市役所付近に領主館が建設されました。これに伴って、町場の機能がその付近に集められたのです。

本町は、安永(やすなが)山久院(さんきゅういん)馬場(ばば)通(どお)り(庄内町)に建設され、15世紀の中頃に、中尾口本之原(なかおぐちもとのはら)の台地上(南鷹尾町・鷹尾、歴史資料館西側)に移転されました。そして一国一城令の後に、領主館広小路の北(上町、現在の中央通り)へ移転しています。

市(いち)は、天正時代(1573~92)にはすでに行われており、市の開催日は「七」の日で、7 日・17 日・27 日でした。寺院は、西明寺(さいみょうじ)の末寺「円通庵」が大岩田から移されました。

江戸時代後期における本町の人口をみると513 人で、5つあった町場の中でも圧倒的に多い数です。また、御用油屋や御用麹屋、御用素麺屋といった領主御用の店がありました。本町は、都城における町場の中心的存在だったのです。

円通庵跡

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