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コラム9 江戸時代の都城の町(平江町・新町)

記事ID:0036795 更新日:2021年6月10日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

江戸時代の平江町は、南側が三日町、北側が八日町で構成されていました。元和元年(1615)に現在地に移転され、平江町となったようです。町名の由来は、飫肥の伊東氏が高木(都城市高木町)を領していたとき、高木の平江という場所に町を置いたことにあるようです。

新町は、江戸時代の三重町(東半分)と後町(西半分)をあわせた町の名称で、現在の都城市西町と八幡町にあたります。三重町の由来は、天正14 年(1586)に北郷忠虎が豊後国へ出兵し、同国三重郷の人700名人を本之原へ移住させ、町立てしたことに始まるといいます。市はこの頃から始められ、1 日・10 日・20 日の3日間でした。

後町は、はじめ安永本町(都城市庄内町)内に設置されましたが、中尾口に移り、さらに元服坂(都城市五十町)の通りに移されたようです。市の開催日は4日・14 日・24 日でした。

幕府巡見使御道筋の図

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