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コラム11 江戸時代の町役人
都城における町場の支配は、都城領内の町奉行が担っていました。この町奉行1名(のち2名)の下に町中取(まちなかどり)2名がおり、各町に部当(べとう)・小部当(こべとう)それぞれ1名ずつが設置されていました。
部当は当初、武士身分の者が就任していましたが、後に町人が就任するようになっています。また部当は、江戸初期に武士が就任していた時には「大部当」と呼んでいましたが、町人が就任するようになるとその呼称はなくなりました。ただし、本町の部当だけは、延宝5年(1677)以降再び武士が就任するようになりました。
なお本町の町役には、部当1名のほか、横目2名、用聞(ようぎき)7名、定月行司(さだめつきぎょうじ)2名、町同心(まちどうしん)3名、旅人問屋(たびびとどんや)1名なども置かれていました。