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コラム14 都城領主は「お殿様」か?

記事ID:0036811 更新日:2021年6月10日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

江戸時代、約4万石という鹿児島藩内最大の所領をもっていた都城島津家の当主。当時、周りの人たちは何と呼んでいたのでしょうか?

江戸時代の初めに都城の役人が書き残した日記には、「殿様」という文字が記されていました。例えば、寛永14年(1637)10月29日には「殿様」が安永の諏訪神社へ参詣したことが記録されています。通常、「殿様」といえば、大名家の当主をさすと考えられがちですが、都城のような領主でも「殿様」と呼ばれていたことを確認できたことは、当時の人たちの大名や領主に対する考え方や世相をうかがうのに、とても貴重な発見といえるでしょう。

江戸時代、都城にも「殿様」がいたのです。

寛永14年日帳

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