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コラム20 薩摩と飫肥の藩境・梶山

記事ID:0036823 更新日:2021年6月10日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

江戸時代都城領であった梶山地域(三股町)は、飫肥藩と接しており、また17世紀に藩境をめぐる争論が起きたこともあって、関所が置かれていました。

「庄内地理志」によると、梶山地域には梶山番所を核として、18ヶ所の辺路(へんろ)番所がありました。こうした番所に武士が常駐し、鹿児島藩内外へ出入りする人や物の監視をしていたのです。

万延元年の描かれたこの梶山寺柱安久辺路麁絵図をみると、そうした様子がよくわかります。緑や青の彩色で見事に描いた梶山の谷間地形に、縦横に走る主要道及び辺路を赤色で詳細に示しています。そして少し太めに示された主要道を遮断するように、梶山番所が置かれ、細い赤字で示された全ての辺路沿いに辺路番所が描かれています。江戸時代の藩境警備を今に教えてくれる絵図史料です。

梶山寺柱番所絵図

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