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天草原城攻図(あまくさはらじょうぜめず)
江戸初期最後の大きな合戦となったのが、寛永14年(1637年)に起きた島原の乱です。島原半島には、戦国期にキリスト教が伝来。領主大村氏が厚く信仰したことから、多くのキリスト教信者がいました。
幕府によるキリスト教への弾圧が強まると、島原藩でも信者への激しい弾圧が行われ、このとき立ち上がったのが、天草四郎時貞(あまくさしろうときさだ)でした。
この図には、天草四郎軍が立てこもった原城(はらじょう:現在の南島原市に所在)と、それを包囲する幕府軍の陣配置の様子が細かく描かれています。
島原の乱以降、江戸後期に至るまで、大きな騒乱は起こらなくなり、戦の無い時代が幕を開けます。この戦を境に、戦うことを得意として生きてきた武士たちは、政治を担う官僚的な武士へとなっていきました。