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唐金花瓶(からかねかびん)
都城は、周囲を山々に囲まれていて、海外の国々とは無縁だったかのように思われます。しかし、古くから都と地方を結ぶ官道が整備され、周辺の港からさまざまな南海・大陸の産物が都城を通して京へと運び込まれていました。
戦国時代には、都城島津家領地の港であった内之浦(うちのうら:鹿児島県肝付(きもつき)町)で、中国との交易が頻繁に行われていました。都城島津家十代領主北郷時久(ほんごうときひさ)は、内之浦で入手した砂糖や壺、香炉、茶碗などを豊臣秀吉に献上していて、その目録の中に唐金の鉢があったとの記録があります。その後、唐金を用いた金工技術は日本にも伝えられ、仏具や茶道具に用いられました。
都城島津家に伝わる唐金花瓶は、日本に伝えられたこの技術を用いて制作されたものと考えられていて、海外との交流を垣間見ることができる貴重な史料です。