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島津久静書「酔月」(しまずひさながしょ「すいげつ」)
第25代都城領主島津久静(ひさなが)は、天保3年(1832)に生まれ、幼少の頃の名を元次郎といいました。天保14年(1843)に元服し、安政3年(1856)に都城島津家当主となりました。その後、文久2年(1862)、島津久光(ひさみつ)の上京に従い、京都の護衛に任じられましたが、病気のため急死してしまいました。
この書は、天保12年(1841)、久静が10歳のときに書いたものです。都城島津家家臣で、学者でもあった大館晴勝(おおだてはるかつ)が、鹿児島城下にあった都城島津家屋敷に在勤していた時に「若君元次郎(わかぎみもとじろう)様」の自筆として拝領したものです。
豪快なタッチで書かれたこの書は、当時形作られていた薩摩武士の士風を表した貴重な史料です。