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島津久理像(しまづひさみちぞう)
都城島津家18代当主島津久理(1657年~1727年)は、藩主島津光久(みつひさ)の八男で、17代忠長(ただなが (1663年~ 1670年)が死去した翌年の寛文(かんぶん)11年(1671年)に都城領主となりました。
久理以後、久理の子孫が都城島津家の家督を継いでいくことになります。久理は、文武の奨励やかんがい水路の開削などに取り組み、元禄(げんろく)15年(1702年)3月には家督を忠置(ただおき・後の久龍(ひさたつ))に譲ると、香雲(こううん)と号して隠居。享保(きょうほ)12年(1727年)に逝去しました。
ここに描かれた久理は、背中をわずかに曲げ、黒い羽織を身に付けていて、髪をやや短めに表現されていることから、隠居生活の様子を描いたことが推測されます。また、傍らには碁盤が置かれていることから、久理が碁を好んでいたことをうかがい知ることができます。