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島津道鑑(貞久)下文(しまづどうかん(さだひさ)くだしぶみ)

記事ID:4082 更新日:2019年10月29日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

島津どうかんくだしぶみの画像

都城島津邸で所蔵する「島津道艦(貞久)下文」が、宮崎県の文化財に指定されました。 この書には、建武(けんむ)2年(1335)、薩摩国の守護であった貞久が、薩摩国山門院(さつまのくにやまといん・鹿児島県出水市付近)の故・本田親兼(ちかかね)が持っていた代官職の半分を、本田久兼(ひさかね)が受け継ぐよう命じた内容が記されています。

鎌倉時代の初めに島津氏に従って南九州へやってきた本田一族は、主に姶良市や霧島市一帯で活動し、江戸時代に、この書状を都城島津家に献上しました。

他にも、書状には、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)や足利尊氏(あしかがたかうじ)、その弟の直義(なおよし)が書いた手紙など貴重な古文書が含まれていて、当時の島津氏や南九州の動向をうかがい知ることができます。

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