ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

波図屏風(なみずびょうぶ)

記事ID:4281 更新日:2019年10月29日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

波図屏風の画像

戦国時代から江戸時代にかけて、都城島津家には絵画に長けた武士が多数仕えました。中でも、秀才としてたたえられた絵師が財部盛陳(たからべせいちん)です。盛陳は、都城に雪舟流水墨画を伝えた秋月等観(しゅうげつとうかん)の一番弟子である、財部寿福坊等見(じゅふくぼうとうけん)の子孫に当たります。

戦国時代以降、日本画の世界では狩野家が台頭。全国諸藩の絵師たちがこぞって狩野家に弟子入りしました。盛陳もその一人として伝えられていて、代表作「波図屏風」は、「高麗虎狩図屏風(こうらいとらがりずびょうぶ)」の作者である永井慶竺(けいじく)も絶賛したと言われています。

都城市では、「波図屏風」を修復しました。なお、修復の際には、都城島津家もこの屏風を修理していたことが分かりました。この屏風は都城島津家が大切に守ってきたものなのです。 

みなさんの声を聞かせてください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?