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万覚書(よろずおぼえがき)

記事ID:4693 更新日:2019年10月29日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

万覚書の画像

「波図屏風(なみずびょうぶ)」の作者である財部盛陳(たからべせいちん)は、都城島津家の家臣としても活躍しました。生没年は不明ですが「あまりの絵の上手さに他の狩野派門弟が嫉妬し、若くして毒殺された」という逸話が伝えられています。庄内地理志巻二十三では絵師と記され、後世においても絶賛されている盛陳ですが、都城島津家に伝わる系図などには記述がなく、謎に包まれた存在でした。

今回、都城島津家史料を調査したところ、都城島津家の家臣が書き残した日誌「万覚書」に寛永17年(1640)財部権兵衛という名前で、都城島津家に仕えた盛陳が記されているのが見つかりました。

このことから、都城島津家の絵師達は、都城島津家の家臣として行政的な職務に従事しながら、屏風や絵図の作成を行っていたことがうかがえます。

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