本文
蔓草類 真写(まんそうるい しんしゃ)
都城島津邸には、幕末期以降の当主の写真などが数多く残されています。
しかし、幕末期以前には、現代のようにいつでも簡単に写真を撮ることはできず、景色や植物の姿を見続けたいと思っても、紙と筆があるのみでした。 そこで、人々は、植物や鳥類などを詳細に描写・色付けし、図鑑のようにしたものを手元に置きました。これらは、細部まで忠実に描かれていたことから「真写」と呼ばれました。大名の間では、さまざまな「真写」を集め、交換し合うことなども流行しました。 絵を描くことは武士のたしなみの一つとされ、都城島津家当主にも書画に秀でた人物がいました。 19代当主久龍(ひさたつ)もその一人で、彼が描いたとされる「蔓草類 真写」は、人々の 関心があった草花や文化、そして、久龍の腕前の高さを今に伝えています。