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江戸時代の町役人

記事ID:9091 更新日:2020年3月8日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

都城における町場の支配は、都城領内の町奉行が担っていました。この町奉行の下に町中取(まちなかどり)・部当(べとう)・小部当(こべとう)が置かれています。町奉行は1名、町中取2名、部当は各町に1名ずつおり、その下に1名ずつ小部当が設置されていました。町奉行は後に2名となります。

部当は当初、武士身分の者が就任していましたが、後に町人が就任するようになっています。しかし、延宝5年(1677)に、本町の部当だけは再び武士が就任するようになりました。部当は近世初期、武士が就任していた時には「大部当」といい、町人が就任するようになるとその呼称はなくなりました。

寛永11年(1634)の衆中高帳では、部当・小部当の名称が見られ、部当は武士、小部当は町人が就任していたことがわかります。町役は、本町には部当1人のほか、横目2人、用聞7人、定月行司2人、町同心3人、旅人問屋1人などが置かれていました。

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