ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

江戸時代の都城の町(本町)

記事ID:9094 更新日:2020年3月8日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

江戸時代の都城には、本町・三重町・後町・唐人町・平江町という町場がありました。

戦国時代まで都城盆地には13の城(山城)があり、それぞれに町場が形成されていました。しかし、徳川幕府によって1615年に出された「元和の一国一城令」によって各城は破却され、現在の市役所付近に領主館が建設されました。これに伴って、町場の機能がその付近に集積されていったのです。

本町ははじめ、安永山久院馬場通り(庄内町)に建設され、15世紀の中頃に、中尾口本之原の台地上(南鷹尾町・鷹尾、歴史資料館西側)に移転しました。そして一国一城令の後に、領主館広小路の北(上町、現在の中央通り)へ移転しています。

市は、天正時代(1573~92)にはすでに行われており、市日は「七」の日で、7日・17日・27日でした。寺院は西明寺の末寺「円通庵(えんつうあん)」がありました。これは、町の移転とともに大岩田から移したものであるといいます。

江戸時代後期における本町の人口をみると513人で、五つある町場の中でも圧倒的に多い数です。また、御用油屋や御用麹屋、御用素麺屋といった領主御用の店がありました。こうしたことから、本町は特に都城における町場の中心的存在であったといえるのです。

みなさんの声を聞かせてください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?