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島津氏以前

記事ID:9103 更新日:2020年3月6日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

桜島噴火の図の画像

大昔、都城は湖でしたが、現在の鹿児島湾(錦江湾)一帯で大爆発が起こり、その灰がシラスとなって湖を埋め尽くしました。都城盆地のようなくぼんだ形はその時にできたものです。これが都城盆地の起こりです。その後、約1万3千年ほど前、縄文時代になってから人が住むようになりました。

万寿(まんじゅ)年間(1024~28)、大宰府の役人であった平季基(すえもと)が、「島津」と呼ばれていた郡元町付近を中心に、都城一帯を開発したとされています。

季基は、このころ政治の実権をにぎっていた関白 藤原頼通(ふじわらのよりみち)にこの土地を寄進しました。これが日本一といわれる大荘園「島津荘(しまづのしょう)」のはじまりです。

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