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鹿児島藩と都城
江戸時代の都城市域は、現在の鹿児島市を中心に島津氏が治めた鹿児島藩(薩摩藩)に属していました。鹿児島藩では、その内部を113の地域に区画して、それぞれに地頭や領主といった家臣をおいて治めていました。
都城はそのひとつで、島津氏の家来であった北郷氏(後の都城島津氏)が独自に治めた「私領」といわれるところと、山之口・高城・高崎のように藩が直接治める直轄領「外城」または「郷」といわれるところがありました。
山之口と高城は、近世初期までは北郷氏(後の都城島津氏)の領地でしたが、慶長19年(1614)に藩の直轄領となりました。
高崎は、はじめは高原外城に含まれていましたが、延宝9年(1681)に分かれて、新たに藩直轄の高崎外城として誕生しました。