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明治維新と都城

記事ID:9106 更新日:2020年3月4日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

明治2年(1869)に行われた、藩主から土地と人民を朝廷に返すよう命じた版籍奉還(はんせきほうかん)によって、ときの都城領主であった島津久寛(ひさひろ)はその領地を返上し、屋敷のあった鹿児島へ移ることになりました。

新しい明治の時代に向けて行政を担った明治政府は、都城を治める地頭という役職に、鹿児島藩士であった三島通庸(みしまみちつね)を就任させたのです。

この三島の就任に都城の武士たちは激しく反発したため、都城地域の行政運営は方針を変更せざるを得ませんでした。その後、藩が廃止され、新たに県が設置されるという廃藩置県があり、明治4年(1871)11月、大淀川より南の大隅半島を県域とする「都城県」が誕生します。

鹿児島へ移った都城島津氏は、明治12年(1879)に都城に戻り、早鈴大明神という神社の跡に家を建て、現在に至っています。

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