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都城島津邸 邸内施設のご案内

記事ID:8998 更新日:2019年12月13日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

都城島津邸の邸内の画像

剣道場

慶応3年築の建物といわれています。『明治百年人物誌』の渡辺甲介の項によると、「明治12年に島津邸に道場を設立し剣道を指南す」とあります。芳井崎に邸宅をつくるとき、移設してきたと思われます。床が低くなっており、釘が上から打たれていないのが特徴です。石蔵に対し、板蔵と呼ばれ、炭などを保管していました。

石蔵

「都城島津家日誌」によると、昭和5年11月5日「石造米倉庫棟上ゲヲナス」とあります。12月29日に竣工。後には、道路拡により解体した農芸館の収蔵品(民具)が収納してありました。

厩(農芸館)

昭和27年の建築。馬小屋として利用されていました。

御門

昭和10年、追加注文で建築されたものです。都城島津家の家紋入りの軒瓦があるのが特徴です。

外蔵

明治15年4月、120円で古土蔵(明治5年築)を購入し、移築したものです。2階に、都城市に寄贈した古文書・甲冑等が収蔵されていました。

日本庭園

昭和10年に鹿児島の庭園師に依頼した記録があります。昭和28年、本宅増築の時、庭も改造したと思われます。南側の高木は、昭和天皇御宿泊のとき、警護及び目隠しのため移植されました。池には鯉やスッポンが生息し、鴨などの渡り鳥も飛来します。水源は湧水ですが、涸れたことがありません。一角に毘沙門天(=多門天、四天王の一。北方世界を守護)があり、これは、廃藩後に家臣であった北郷資秀がもらい受けていたものです。明治45年2月23日、島津邸内に移されました。肥後椿は、龍峯寺墓地から移植されたものです。

都城島津家の先祖が祀られていたものです。昭和10年にこの場所に移転し、9月30日に遷宮祭が行われました。伊勢神宮正殿と同じ神明造となっています。島津家では、毎年、春と秋に御霊祭を行っていました。

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