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都城島津邸 本宅

記事ID:9000 更新日:2020年3月8日更新 印刷ページを表示する 大きな文字で印刷ページ表示

邸宅の画像

都城島津邸は、平成20年4月18日に登録有形文化財とされ、平成21年には都城市の文化財にも指定されました。

登録建物(8棟)

  • 都城島津家住宅主屋
  • 都城島津家住宅離れ
  • 都城島津家住宅内蔵
  • 都城島津家住宅外蔵
  • 都城島津家住宅石蔵
  • 都城島津家住宅剣道場
  • 都城島津家住宅社
  • 都城島津家住宅御門

本宅は3つに区分され、そのうち、昭和天皇の使用された風呂、櫓風呂等北側の一部は対象外となっている(登録時50年未経過のため)。

都城島津家住宅主屋 

出典:都城島津邸ガイドブック
発行:NPO法人都城歴史と文化のまちづくり会議

玄関の屋根は、本屋の軒先より低く、屋根型は入母屋造りである。間口は1間半と一般住宅より広く、主玄関・内玄関を持ち、接客層を区別している。

玄関棟から東へ入母屋造りの座敷棟が延び、玄関から続く3室続きの座敷と、廊下を介してL型3室続きの座敷を並べているのが特徴。

外観は、ごく普通の民家にみえるが、規模が大きく民家とは違う間取りlこなっている。

各部屋は、ほぼ均質な空間が連接する構成だが、特定の部屋の格付けをするため、床の間・棚・書院・納戸構えなどを有し、主室には控えの聞を付属している。また、部材は関東大震災の教訓を生かした仕様と規格で一般住宅より太く、厳選された杉材が使用されている。

また、広縁は入縁側で客室より庭園・中庭が望める。主室との境は竹之節欄聞を付けた間仕切りがあり、この間仕切りを境に内装に差が付けられていることが分かる。

縁側のガラスも1枚のものに変えられ、障子も雪見障子としている。

しかし、昭和29年時点では、ガラス戸も障子も間仕切り以前と同じであることから、昭和48年の昭和天皇御宿泊時の改修に際し、接客の区分をより明確にしたことがわかる。

また、縁側に大きい踏み石があるが、これは一枚の大理石であり相当高価なものと考えられる。この付近の玉石には南側の池にすむ「すっぽん」が卵を産みに来ていたという。

縁側から南を見ると樹木が茂っているが、昭和天皇が御宿泊される以前はかなり見通しが良かったようである。しかし、天皇陛下警備の必要から、改修時に庭の南側に植栽したため、現状のようになった。

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