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江戸末期、三味線に合わせて踊られたと伝えられています。 島津藩による一向宗禁制が布(し)かれた中で、密かに隠れて念仏を拝み、この踊りが奉納されたといわれています。 弾圧の中で「御仏の心」にかなうように、自分の体で念仏を表現したといわれています。
※参考:山之口町の文化財(平成14年3月発行)
山之口町下富吉地区