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正応寺大太鼓踊(しょうおうじおおだいこおどり)
文鐘坊宥政上人が医王山知足院正応寺の住職となり、天台宗から真言宗へと宗派を改めた際に始められたと伝えられています。
奉納日が「七夕盆」に当たるため、都城地方の古い盆踊りと考えられます。
白上着に白股引をつけ、藺笠を被った鉦(かね)と鼓(つづみ)、刀を帯びた中入組、矢旗を背負う太鼓組からなり、鉦・鼓・中入組が内輪、太鼓組が外輪となり踊り歩きます。
扮装、踊りの陣形や態様、奏楽の様子など、念仏踊の色彩が強いといわれています。
諸県地方では、天正の頃(1573~1591)も大太鼓踊りが盛んであったようです。
※参考:都城の民俗芸能(昭和56年3月31日発行)、都城市の文化財(平成26年7月22日発行)
伝承地
安久町